日本キリスト教団 大阪淡路教会宣教基本方針
2000年4月9日
イエスはすべての人を招いておられるわたしたちの主です。
主イエスはわたしたちを癒し、赦し、わたしたちに平安をあたえてご自分の体である教会とされます。
教会とされたわたしたちは、この主イエスが語られた神の恵みの支配と、身をもって示された生き方にうながされてよりいっそう人間らしく生きられる社会をつくりたいと願っています。
しかし、教会であるわたしたちは平和を破壊する争いや人間性を損なう差別・抑圧―部落差別・「障害者」差別・民族差別・性差別等々―といった現実に巻き込まれ、主イエスと人々をさらに悲しませ、苦しめています。
主イエスは、このようなわたしたちを自分の十字架の死と復活を通してあらわしてくださった解放の福音によりくりかえし赦し、あらためて奮い立ってその現実の場で生きるように求められます。この求めに応じて、わたしたち大阪淡路教会はイエスを仰ぎながら以上の課題に向かい合い、地域において、あるいはこの国において、さらに「地の果て」においても神の恵みの支配の証人になりたいと願います。
このことを、わたしたち大阪淡路教会の宣教基本方針とします。
大阪淡路教会は、この方針を心に留めつつ、教会としての営みを続けています。教会にはこの方針とは異なると思われるような考えを持っている方もいます。方針に全面的に賛同というわけではないと言われる方もいます。でも、一緒にやって行こうとしています。
牧師にはまた牧師自身の「宣教方針」のようなものもあります。興味があればこちらをご覧ください。ただしこれは、教会のみんながこれに従ってやっているというようなものでは決してありません。内容のおおまかなところは教会の多くの方々に認めていただいているとはいえ、あくまで牧師の個人的な「方針」です。当たり前のことですけれども、まったく賛同できないという方もおられるでしょうし、部分的に賛同しかねるという方ももちろんおられることでしょう。