2016年1月10日主日礼拝報告

メンバーのMさんが献げてくださったお花です

メンバーのMさんが献げてくださったお花です

教会の暦では降誕節第3主日でした。

第1部の子供の礼拝では新約聖書・ルカによる福音書10章29~32節を読み、メンバーのOさんが「わたしのりんじん」というタイトルでお話をしてくださいました。

第2部の礼拝では、旧約聖書・ヨブ記32章6~10節を読んで、牧師から「わたしが語ろう」というタイトルでお話をしました。

(以下、牧師のお話の要旨)

「わたしが語ろう」

〈自死をどう受け止めるか〉

病気になる人がいれば健康な人もいる。自分の願った進路に進むことのできる人がいればそうでない人もいる。挫折を味わう人がいれば成功し続けている(かのような)人もいる。不安を感じる人がいれば、そうでない人もいる。死ぬ人がいれば生きる人がいる。それが人の生きる世の現実です。もしそれが、受け入れざるを得ないわたしたちの現実だとしたら、自分に課されている現実に耐えられずに、自ら生命を絶つ人々は、単にその現実に耐えられなかった弱い人々だという見方もできなくはありません。でもそれが、誰もが受け入れざるを得ないこの世の現実なのだとしても、なぜその現実を受け入れられない人がいるのでしょうか。生きる人がいて、死ぬ人がいる。そんな当たり前のことを、なぜ人は受け入れられないのでしょうか。

それは、自分自身が単に世の中の一部に過ぎない存在だとは思えないからではないでしょうか。この世の現実を生きているこの「わたし」は、その現実の一部に過ぎない存在でありながら、でも現実の一部に甘んじることができない存在でもあるのだと思います。この「わたし」は、この「わたし」に今与えられているこの現実を生きるほかないのは確かなことですけれども、それを受け入れることはできないのです。もしその現実を受け入れるほかないのだとしたら、自ら生命を絶つ人々のことを、この「わたし」を生かすために、あるいは「わたし」たちのために、その死は役立つものになるのだとか、そうしなければならないとか、そんなふうに考えることにでもなるのでしょうか。

〈「わたし」はこの世の一部ではない〉

今日の聖書個所はエリフという人が語っている言葉です。このエリフという人、今までその影すらなかった人です。この32章で突然現れた若者なのです。このエリフという人、年長者のヨブやヨブの友人たちのやりとりを聞いていて、どうやらだまっていられなかったということのようです。これからエリフが語る内容についてはともかく、エリフはエリフとして、ヨブやヨブの友人たちが語り合いながら繰り広げて来た世界が、自分の生きるべき世界だと受け入れることはできない、そういう一人の「わたし」なのです。世の中そんなもんだとは認めることができずに、どうしても「わたしの言うこと」「わたしの意見を」(10節)を語らざるを得ないのです。

〈「わたし」は今日を生きる〉

イエスは「明日のことを思い煩うなかれ」と言いました。「明日は明日自らが思い煩うであろう」と言いました(マタイによる福音書6章)。でもそれは、「明日のことを考えてもしょうがない」、「人は誰でもなるようにしかならない」、「明日死ぬかもしれないのだから考えたところでどうしようもない」というようなことではないと僕は思います。不満を持ったところでなるようにしかならないんだから、明日のことを考えるのは止めなさいということではないと思うのです。イエスの言葉の意味するところは、「今日を生きなさい」ということなんじゃないでしょうか。思うようにならない今日、望んだとおりにならない今日、自ら生命を絶つ者がいる今日、自分よりも多くを手に入れている者がいる今日を、でも一人の「あなた」として、「わたし」として生きなさいということだと僕は思います。

〈「神の国」のひとりとして〉

誰かが自ら生命を絶つという出来事を、僕は受け入れるわけにはいきません(「自殺は罪だ」という意味ではありません)。亡骸の首根っこをつかんで揺さぶってでも生き返らせたい、「あなたが死ぬ必要はないんだ」と叫びたい、そんな気持ちです。イエスという人を知れば知るほど(と言っても、少しも知ってはいないのだとは思いますが、それにもかかわらず)、日々すべてのことに満足できなくなっていく自分を感じます。そしてきっと、イエスが十字架で味わった絶望をほんのちょっとだけ分けてもらって、「神よ、なぜお見捨てになるのですか」(マルコによる福音書15章34節ほか)と思いながら息を引き取る、息を引き取れたらいいなぁ、きっとそうなるほかないだろうなぁと今では思っています。「わたし」という一人の人間は誰もみな、この世界の現実の一部ではなくて、イエスの告げた「神の国」の一部だと僕は信じるからです。

(以上、牧師のお話の要旨)

礼拝後は、クリスマスツリーなど、クリスマスの装飾品を片付けました。皆様のご協力に感謝します。その後には、劇団「天の雫」の定例会、3月27日のイースター愛餐会での公演に向けて再びスタートを切りました。

次週1月17日(日)は降誕節第4主日の礼拝です。どなたでもぜひご参加ください。礼拝後には会堂清掃と定例役員会を予定しています。

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