2016年1月17日主日礼拝報告

教会の暦では降誕節第4主日でした。

第1部の子供の礼拝では新約聖書・マルコによる福音書10章13~16節を読み、メンバーのOさんが「ぜーんぶわたしの中に」というタイトルでお話をしてくださいました。

第2部の礼拝では、新約聖書・マルコによる福音書2章13~17節を読んで、牧師から「罪びとと共に」というタイトルでお話をしました。

(以下、牧師のお話の要旨)

「罪びとと共に」

「セーフ」でいたい

マクシミヌス帝時代のデナリウス貨(Wikipediaより)

マクシミヌス帝時代のデナリウス貨(Wikipediaより)

人はなぜ「セーフ」でいたいと思うのでしょうか。子供の遊びは「セーフ」になることを競うものばかりです(例えば、「鬼ごっこ」の「鬼」は「アウト」でしょう)。ある一定のルールによって「セーフ」と「アウト」が分けられて、「アウト」になるのは好ましくないことなのです。もしかしたらそのような遊びを通して、人は何らかの「ルール」によって「アウト」にならないように、「セーフ」でいられるように必死になることを身に着けるのでしょうか。

徴税人

今日の聖書個所に登場するレビは徴税人と呼ばれています。ガリラヤ地方の徴税人はガリラヤを通行する外国人から関税を徴収して領主に納めていたそうです。そして、異教徒である外国人と接する徴税人は、穢れた「罪人」だと人々から考えられていたそうです。

「アウト」の側から

イエスという人は、どうやらそういった「罪人」たちと食卓を囲むことが多かったようです。今日の聖書個所の流れでは、レビがイエスに従った(14節)、その次の瞬間、イエスはもうレビの家で食事の席に着いています(15節)。今日の聖書個所のポイントは、イエスのこの飛躍にあると僕は思います。イエスは実に軽やかに、「アウト」の側に、人々が「罪人」と呼ぶ者の側に飛んでいるのです(そもそもイエスがどちらの側にいたのかは分かりませんが)。そしてその「アウト」の側で「あなた、そんなに必死にセーフでいようとしているけど、実はこっちの方が自由なんだよ」と招いているような気が僕はします。

(以上、牧師のお話の要旨)

礼拝後は、会堂清掃、定例役員会を行いました。皆様のご協力に感謝します。

次週1月24日(日)は降誕節第5主日の礼拝です。聖書個所は旧約聖書・ヨブ記32章11~16節(新共同訳聖書817ページ)です。どなたでもぜひご参加ください。

礼拝後にはほっとコーヒータイムを予定しています。こちらも、どなたでもぜひご参加ください。

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