2013年9月8日主日礼拝報告

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大阪淡路教会では毎週日曜日午前10時30分から11時45分くらいまで、礼拝をしています(淡路教会の礼拝の詳しい内容については、また改めてこのサイトにアップする予定です)。

このお花は礼拝のために毎週献げられているお花です。メンバーのMさんが毎週ご自宅から持ってきてくださるものです。本来は反対側から撮影すべきものですが、ちょいと事情がありまして裏側から撮影しました。礼拝後、教会と関係の深い社会福祉法人路交館の「障がい児」共同保育40周年のシンポジウムに参加するために、参加される方と一緒にあわただしく教会を離れました。そのため写真を撮ることができなくて撮影が今日になりました。

8日の礼拝には、そのシンポジウムに韓国から来られた方々も参加してくださいました。ありがとうございました。

8日の礼拝で、旧約聖書ヨブ記13章20~14章6節の言葉を読んでいただいて、みんなで聴いて、その意味を分かち合いました。牧師からは「弱さの織り成す勇気」というタイトルでお話をさせてもらいました(内容はタイトルから離れてしまいましたが)。

お伝えしたのは「眼差し」のことでした。ヨブという人は、かつては幸福に暮らしていました。けれども、苦難を味わい、苦しみの極みに置かれ、その苦難の意味を神に執拗に問うようになります。ヨブは、自分が味わっている苦難を神の手によるものだと理解しています。そしてその神の手を恐れます。ヨブの状況はかつてとは大きく変わりました。でも神からヨブに注がれ続けている眼差しは変わっていません。ヨブは苦しみの中にある今も神が自分を眼差していることを知っています。その眼差しはヨブにとって、苦しみを募らせるものでもありますが、同時に、「わたし」以上に「わたし」のことを知ってくれているという希望につながる眼差しでもあるのではないでしょうか。苦しむヨブの傍には3人の友人たちがいます。でも彼らの言葉はヨブの苦しみをさらに増し加えるものになっています。彼らもまたヨブを眼差す神の眼差しの先にいるはずです。でも彼らはその眼差しを感じ取っているのでしょうか。彼らの感じ取っている眼差しは、三人が互いにそれぞれに向け合う視線だけなのではないでしょうか。

次週の主日礼拝は9月15日(日)午前10:30~11:45。聖書箇所は新約聖書・使徒言行録13章42~52節です。牧師のお話のタイトルは「手放せないもの」です。

報告:山田有信(牧師)

 

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