2013年10月27日主日礼拝報告

DSCN0306これはメンバーのMさんが礼拝で献げてくださったお花です。

10月27日の主日礼拝の子供礼拝のメッセージは、メンバーのIさんが担当してくださいました。聖書箇所は旧約聖書イザヤ書11章6~10節、「あらしのよるに」という絵本の読み聴かせでした。「あらしのよる」は一匹のオオカミと一頭のヤギの物語。聴いていて、オオカミとヤギの暗い小屋でのやりとりに引き込まれました。

また礼拝の中で旧約聖書のヨブ記15章7~10節を読みました。牧師からは「神の苦しみと共に」というタイトルでお話をしました(でもタイトルとは結びつかない内容になってしまいました。よくあることなのですが…)。

旧約聖書のヨブ記を作った作者の時代、旧約聖書の神を信じる宗教集団だったイスラエルの民は、国を失い、異国に散らされるという状況にありました。多くの人々が神に従順に従っていたのにもかかわらず、国を占領され、永遠の繁栄を約束されていた地を失い、死と苦しみを味わっていたのです。ところが、一方にはそんな苦しみとは無縁の人々もいて、その中には真面目な信仰者と言えないような人々もいたのです。ヨブ記の作者はこの矛盾について徹底的に考え抜きました。作者がヨブ記に登場させたのは、敬虔な信仰者ヨブという個人でした。ヨブはその信仰にもかかわらず、神の手によって過酷な苦難を味わうことになります。物語にはヨブの友人たちも登場し、苦しむヨブに対し、神に造られた人間の一人として神の前で人の罪を認め神になお従順に従うべきことを勧めます。でもヨブはそれを認めません。ヨブは神に造られたすべての人間の一人ではなくて、あくまでもヨブというこの世界で唯一の存在として、友人たちの押し付ける「およそ人間とは…」という一般論のようなものではなくあくまでも自分が経験してきた内容に基づいて、友人たちと神に向き合います。そのため、友人たちは「人間はすべて罪人」という考えから一歩も動きませんが、ヨブは神の義しさと自分の苦しみの間で激しく揺れ動きます。ヨブ記の作者が証言しているのは、「わたし」という一人の人間が、自分自身の経験に基づいて、神と正面から向き合って語り合うことの大切さと、そのような相手こそ神なのだということだと思います。「わたし」と神と呼ばれる相手との一対一の関係こそが重要です。そこにどんな答えが与えられるのか、「わたし」にとってよい答えなのかそうでないのか、それは分かりません。でも自由に基づいた神の答えがそこに必ず示されるということもヨブ記の作者は証言していると思います。

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礼拝後には、希望者が残って、映画『ナザレのイエス』を30分ほど鑑賞しました。今回はイエスの少年時代から、洗礼者ヨハネから受けた洗礼までの件を観ました。

次週の主日礼拝は11月3日(日)午前10:30~11:45です。聖書箇所は新約聖書・使徒言行録15章1~5節です。牧師のお話のタイトルは「古いしきたり」。どなたでもぜひご参加ください。

 

報告:山田有信(牧師)

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