2014年12月14日主日礼拝報告

教会の暦では、アドベント(待降節)第3主日でした。

第1部の子供の礼拝では、新約聖書・マタイによる福音書を読んで、メンバーのOさんが「岩石さん」というタイトルでお話をしてくださいました。

第2部の礼拝では、旧約聖書・ヨブ記24章1~12節を読んで、牧師から「荒野の野ろば」というタイトルでお話をしました。

(以下、牧師のお話の要約)

ゴッホ『赤い葡萄畑』

ゴッホ『赤い葡萄畑』

ヨブ記という書物が書かれた時代、とても多くの働く人々が過酷な状況の中にありました。著者は、その理不尽さ・不条理を嘆いています。そんな状況を許す神を責めてもいます。2節~4節には、本来は社会の中で守られるべき立場にある孤児や寡婦たちが、財産を奪われて路頭に迷っていることが語られています。7節~9節を見ると、そんな人々が非常に過酷な状況に置かれて苦しんでいた様子がうかがえます。そのため、彼らはとても厳しい労働環境の中で働く他ありません。5節、6節、そして10節、11節に語られているように、彷徨う「野ろば」のように荒野を彷徨って食べ物を探すか、大きな農地を持っている地主のもとに出稼ぎに行って、ぶどうや麦、オリーブの収穫を手伝う厳しい季節労働をするしかありません。でもその仕事は季節労働ですから、収穫の時期にしか働くことはできません。他の季節は、自分や家族のために食べ物を探して荒野を彷徨う以外にないのです。

これは「悪」の問題のひとつです。苦しむ者個人ではどうすることもできない、人を苦しめる「悪」がこの世界にあるということです。例えば、ヨブ記に記された、季節労働者として働くほかない社会的な弱者の状況は、一部の人々が利益を追求するために起こる「悪」です。でも、その状況を変えるためにはどうすればよいでしょうか。誰かが儲けを諦めれば、一部の人たちは確かに解放されるでしょう。でも、解放された人たちはどう生きて行くのか。それに、誰かが諦めた儲けは、また他の誰かが手に入れようとするだけのことで、全体としての状況はそう簡単には変わりません。

現代社会でも状況はまったく同じです。世の中まだまだ、全体的には不景気です。ゆとりを持って生活できるほどの仕事はそんなにはありません。むしろ、仕事をして生きて行けるだけ、ましなのかも知れません。だから、長時間労働、低い賃金、過酷な労働環境・条件に苦しむ人に、「あまり無理をしないで、生かされていることを喜んで、感謝して生きて行きましょう」とでも言うしかないんでしょうか。残念ながら、現実的には、そんなことで済ませてしまっているような気がしてなりません。もし教会が、一人の人の魂の救いのようなことしか考えないとしたら、厳しい環境の中で苦しんでいる、働く人たちのことを知ることもないでしょう。気づくこともできないはずです。そんなに過酷な状況にある人たちは、なかなか教会に近づくことないからです。そんなゆとりもないのです。

じゃぁ、いったいどうすればよいのでしょうか。残念ながら、簡単に出せる答えは僕にはありません。ただ、今日の聖書箇所の中で、ヨブが見せている姿勢、あるいはヨブ記の著者が見せている姿勢は大切なものだと思います。それは、こうした「悪」の問題を神の問題として考える姿勢です。それはもちろん、神自身の問題として片づけて、自分たちでは考えないという意味ではありません。むしろ神の問題とすることで、神が創ったこの世界に、どうしてこのような問題があるのか信仰者としてそれを考えるということです。放って置いてはなかなか気付けない「悪」の問題は、神の問題として進んで自分で考えて行くほかありません。そして、ヨブのように神の責任を問うためには、苦しみを生み出す「悪」がどんなものなのか、わたしたちは良く知る必要があるんです。

イエス・キリストは、社会の中で苦しんでいた孤児や寡婦や、病人や障害者の側に立ちました。それは「悪」の問題を神の問題として負い、悪が社会に生み出す苦しみを、イエス自身が担うものとなって生きたということだと僕は思います。真面目に働く人が、苦しみを負って生きざるを得ない現実というのは、やっぱりその人、個人の問題ではありません。それは神に責任があることであって、神に造られたわたしたちみんなが考えて行かなければならない問題です。具体的にどうするのか、僕はそれを示すことができません。ただ、この世界をわたしたちが共に生きようとするなら、ヨブがこの社会にある不条理の責任を神に問うているように、イエス自身が苦しみの側にある者に寄り添って生きたように、この世界の中にあって、人を確かに苦しめている「悪」がどのようなものなのか、まず自から進んで知って、そしてそこに寄り添って行く必要があると思います。

(以上、牧師のお話の要約)

礼拝後には、まずクリスマスの讃美歌練習をしました。その後、会堂清掃、定例役員会を行いました。皆様のご協力、感謝します。

次週は、教会の暦ではアドベント第4主日、クリスマス礼拝です。聖書箇所は新約聖書・使徒言行録22章6~16節、牧師からのお話のタイトルは「ためらいの献身」です。礼拝中、出入り自由です。礼拝後はクリスマスを祝う愛餐会を行います(遅くとも午後2時には終えます)。会費無料です。どなたでもぜひご参加ください。

報告:山田有信(牧師)

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