2015年9月27日主日礼拝報告

教会の暦では聖霊降臨節第19主日でした。

第1部の子供の礼拝では新約聖書・ヨハネによる福音書15章12~15節を読みました。メンバーのKさんが「おじいちゃん わすれないよ」というタイトルで、『ラブリーオールドライオン』という絵本を読んで、お話をしてくださいました。

第2部の礼拝では旧約聖書・ヨブ記30章24~31節を読み、牧師から「涙」というタイトルでお話をしました。

(以下、牧師のお話の要旨)

「涙」

関千枝子『ヒロシマの少年少女たち』(Amazonより)

関千枝子『ヒロシマの少年少女たち』(Amazonより)

『ヒロシマの少年少女たち』という本を読みました。1945年8月6日にアメリカ軍が広島に投下した原子爆弾によって生命を奪われた、当時12~13歳の少年少女たちの記録です。著者は、その中で生き残った関千恵子さんという方です。僕にとっては高校の先輩に当たります。その8月の広島は全市をあげて大規模な建物疎開の作業に当たっていたそうです。建物疎開とは、爆撃を受けた時などに類焼による被害を少なくするために、密集している家屋を壊して建物のない広い地帯を作ることです。その作業のために1万人の広島市民が動員されましたが、そのうちの実に8000人ほどが少年少女たちでした。その日の朝も多くの少年少女だちが作業に従事し、6000人が生命を落としました。生死を分けたのは、本当に偶然のようなものでした。異変を感じ取った校長の機転で校舎に留まらせた学校の生徒たちは助かりました。病欠で自宅にいた生徒たちは助かりました(著者の関さんもその一人だそうです)。

少年少女たちが建物疎開をしていた場所は、今では「平和大通り」と呼ばれる立派な道路になっています。僕は10代のころ、ほとんど毎日その道を横切っていましたが、そんな少年少女たちによって作られた道路だとは知りませんでした。通っていた高校の生徒たちも、建物疎開の作業中に多くが亡くなっていて、その慰霊碑が校内にあることも記憶していません。

今回、この本を読んでみて僕が特に感じたことが二つあります。ひとつは生死を分けた偶然の理不尽さ、そしてもうひとつは、敗戦後実に50年、60年経つまで、多くの人が、自分が生き延びた経緯や、友人たちの死について語ることが無かったということの重さでした。関さんによると、敗戦後の高校生活は活気に満ちたとても楽しいものであったそうです。新しい学校の一期生として、平和のもとで学校を築いていく喜びに満ちていたそうです。けれども誰も原爆の日のことを語ることはありませんでした。なぜか自分が生き残り、多くの仲間の生命は失われていった、その申し訳なさから、語ることはできなかったそうです。けれどもその間に、建物疎開などの作業中に被爆して亡くなった少年少女たちについての記憶は多くの人々から失われて、語り伝えられることは無くなってしまっていたのです。

著者の関さんは本の終わりに、こう記しています。「この建物疎開作業の中心労働力だった少年少女たちのことを思うと、ただただ悲しい。そして、それがほとんど忘れられていることを残念に思う」(158頁)。

旧約聖書・ヨブ記の主人公ヨブは、突然苦難の中に置かれます。ヨブ自身はそのことに対して激しい怒りを覚えています。真面目に生きてきた、困難の中にある人々に対して誰よりも寄り添ってきた、そんな自分がなぜこんなにも苦しまなければならないのか、それを問うても神が応えないのはなぜなのか、ヨブの怒りは頂点に達しています。でもヨブは、その憤りをそのまま激しくぶちまけるのではなくて、それを悲しみとして表出します(28節以降)。はらわたが煮えくり返るような怒りというのは、そのまますぐに表に出てくるものではないのかも知れません。激しい怒りは、それが激しければ激しいほど、人の心の奥底に深く沈んで、心を苛み苦しめます。そして、ただ時折、それをかき消そうとするためのうわべだけの笑顔の隙間から、悲しい調べと共に、深い悲しみとして流れ出てくる他ないのではないでしょうか。

イエスは十字架につけられる直前、ゲッセマネというところで祈りました。その時イエスは弟子たちにこう言っています。「わたしは死ぬばかりに悲しい。…心は燃えても、肉体は弱い」(マルコによる福音書14章32~39節)。イエスもまた、自分がこれから迎えようとする現実をどうしても受け止めることはできなかったのではないでしょうか。「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(同36節)と口では言いながらも、肉体の底からあふれてくる悲しみをイエスはどうすることもできなかったのではないかと思うのです。

激しい怒りの言葉や怒りに満ちた大きな声は、思いのほか簡単に人を動かすことができます。声の大きい者の主張ばかりが通ってしまうという現実があります。でも人が心を向ける必要があるのは、実は深い悲しみの奥底にある何かなのではないでしょうか。

「わたし」たちはなぜ今生かされているのでしょう。例えば、なぜあの地震はここには起こらなかったのでしょう。なぜあの病気、あの事故にも関わらず、「わたし」たちはなぜそれを生き延びて今あるのでしょうか。なぜあの人は死んだのに、「わたし」は生きているんでしょう。

井上ひさしさんが書いた舞台作品に「父と暮らせば」という戯曲があります。原爆が投下された8月6日のあと、生き残った女性と、女性の目の前で死んだはずなのに、なぜか娘の前に姿を現わす父親とのやり取りを描いた作品です。僕は映画化されたものを先日観ました。本当は父親と一緒に死ななければならなかったはずだと泣く娘に父親はこう言います。「おまえはあの時こう言うとったやないか(あの時というのは、あの日燃え盛る日の中でやけどを負って苦しんでいる父親を助けることができずにいたその時です)。『むごいのぉ、ひどいのぉ、なしてこがぁして別れんにゃぁいけんのかいのぉ』。答えてわしも言うた。『こんような惨い別れが、末代まで二度とあっちゃいけん。…まっこと、あんような惨い別れが、何万もあったことを覚えてもらうために、(お前はわしに)生かされとるんじゃ」。

なかなか言葉にならない深い悲しみ、その悲しみの奥底に湛えられている、「なぜなのか」という静かな怒り、その調べに心を傾けながら、誰かに生かされ生き残る者として、与えられている生命を生きて行きたいと思います。

(以上、牧師のお話の要旨)

礼拝後は、クリスマスに歌う讃美歌の練習、そして「ほっとコーヒータイム」。礼拝の中で長年行ってきた「平和のあいさつ」(礼拝の中で、礼拝に集った者が握手を交わしすという礼拝要素)を、今後具体的にどうするかということについて話し合いました。「平和のあいさつ」に耐え難い苦痛を感じる方々もおられることから、これまで通りにはもう続けるべきでないと先週役員会が判断したことを受けてのことでした。今後は、いくつかの案を試行しながら、どのようにすればよいか決めていくことになります。しばらくの間は混乱することもあるかもしれませんが、皆様ご協力をお願いいたします。

次週は、世界聖餐日・世界宣教の日の礼拝です。礼拝の中で聖餐式を行います。どなたでもぜひご参加ください。

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