2020クリスマス・メッセージ(イブ・メッセージ〔オンライン〕から)

「お言葉通りに」

マリアという一人の女性に心を傾けてみたいと思います。言わずと知れた、イエスの母です。

新約聖書のルカによる福音書は、マリアが、ガブリエルという天使から、イエスを身ごもったことを告げられたと物語っています。その物語は、全体としては、一人の少女が偉大な神の子を宿すという奇跡を語っているのですけれども、でもその奇跡は喜びだけに満たされた奇跡ではありません。物語の中では、天使が語る言葉に戸惑うマリアが、どうにかこうにかやっとの思いで口を開いてこう言います。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」(ルカ1章34節、以降すべて『新共同訳』から引用)。これは、マリアの怖れと不安を描き出す言葉だと思います。マリアにはヨセフという、いいなずけがいるのにもかかわらず、そのヨセフがイエスの父親ではないんだよと天使に言われているからです。

マリアのそんな怖れと不安を、マタイによる福音書がさらにはっきり語っています。マリアのいいなずけのヨセフが、「正しい人であったので、マリアが身ごもったことを知ったヨセフが、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」とマタイ福音書は語るのです(1章19節)。「正しい」というのがどういうことなのか、はっきりと語られてはいません。でも、ヨセフはたぶん面倒に巻き込まれるのがイヤだったんじゃないかと想像します。少なくとも、マリアに寄り添うような姿勢を、マタイ福音書のヨセフにうかがうことはできません。

ルカとマタイの語るイエスの誕生物語から、はっきり読み取ることができるのは、やっぱりマリアの怖れと不安だと思います。マリアは、いいなずけのヨセフにさえ、身ごもったことを素直に喜んでもらえないのです。ただでさえ、この先、赤ちゃんが生まれるまでをどう生きればいいのか、無事赤ちゃんを産むことが自分にできるのか、そんな不安があるのかもしれません。それなのに、いいなずけのヨセフは、マリアに起こったことを「正しい」とは思っていないのです。赤ちゃんが無事生まれたとしても誰とどう育てて行けばよいのか、「正しく」ないことをしたと思われている自分はこの先生きていてよいのだろうかとさえ思う、そういう恐れがマリアを襲っているということを物語は語っているんだと思います。

物語の舞台は二千年も前ですけれども、この不安と恐れは決して過去のものではありません。今も多くの女性たちが独りで、マリアと似たような不安と恐れに襲われているのではないかと思います。

わたしたちは、いよいよ明日、今年のクリスマスを迎えます。クリスマスはいつも、多くの人々を喜びに満たす一方で、やはり多くの人々に孤独を感じさせ、不安と恐れをもたらすものでもあります。けれども、今年のクリスマスはまた特別です。残念ながら、クリスマスだからといって、ホッとしたり、安心したりすることは誰にもできません。生きるか死ぬかの瀬戸際に置かれている人々も大勢います。恐れも不安もないという人がいたとしても、たぶん虚勢を張っているだけなのではないでしょうか。

わたしたちは一人一人が問われているんだと思います。何を問われているんでしょうか。医療は果たして病を退けることができるのか、科学がワクチンによって感染や発症から人類を守ることができるのか、怖れと不安が人と人との関係を歪めてしまうことはないか、そういったことももちろん気になります。けれども、もっと大きな強い問いかけは、別にあると思います。それは、「あなたは、この不安と恐れが支配する世界で、何を礎にして今日を生きるのか」という問いかけだと僕は思います。

マリアは天使にこう言いました。「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1章38節)。マリアに起こったことを受け入れることのできなかった、いいなずけのヨセフは、夢の中で「神は我々と共におられる」という言葉を与えられました。そしてイエスが誕生するのです。

わたしたちの生きる世界がこの先どうなるのか、わたしたち自身がどうなって行くのか、いろいろな想像ができますし、予想することもできます。そしてその想像や予想が、わたしたちに恐れや不安や希望を抱かせます。想像することや予想することを止めることはできませんし、不安や恐れをかき消したり、希望だけを持つこともできないことでしょう。でも、この先何が起こるとしても、わたしたち一人一人を見守る眼差しが消えて無くなることはないと思います。我らと「共におられる」方を通して、わたしたちは明日を信じて、この先いったい何が起こるのかを一緒に観たいと思います。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(ルカ2章11節)。

Merry Christmas!

祈り:恵み深い聖なる神さま、例年にない特別なクリスマスになると思います。不安と恐れの中、それぞれで迎えるクリスマスです。わしたちが救い主と信じるイエスが、恐れと不安の中に受胎し、マリアとヨセフがそれぞれ、その不安と恐れを引き受ける中で生まれた、そんなクリスマスが物語られていることを知らされました。主に導かれて、わたしたちも恐れと不安と共に、でも明日を信じてクリスマスを迎えることができますように。

アーメン。

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