降誕節第1主日、2013年最後の主日礼拝でした。画像は礼拝後に行われた「忘年会」の様子です。みんなで鍋を囲む楽しい時間でした。ぜひまたやりましょう。子供の礼拝ではメンバーのOさんが「まにあわなかった!」というタイトルでお話をしてくださいました。誕生したイエスとの対面に間に合わなかった羊たちのお話でした。
礼拝の中で新約聖書・使徒言行録16章6~10節を読みました。牧師からは「召命か、意志か」というタイトルでお話をしました。
出会いと別れの出来事は、人に大きな意味を持つ出来事の一つです。今年の僕にとっての大きな別れの出来事は、学生時代からお世話になっていた川端純四郎先生との別れでした。川端先生から教えられた多くの事の中で、今の僕に特に深く影響を与えているのは、信仰を前提とすることなく、どう聖書を読むのかということ、信仰者・キリスト者としてどう生きるのかということです。それまでは、ただ何となく重要なことが書いてある誰かが書いた書物として、僕は聖書を認識していました。でもそうじゃなくて、人の手によって書かれたがゆえに多くの価値観を含み、現代人の価値観とは異なる価値観や、限界、間違いを含む書物として聖書を認識することの大切さを教えていただいたように思っています。川端先生はまた、そのように真摯に誤魔化しなく聖書を読むことによって、差別や冤罪、戦争、不正を憎み、正義と平和を愛し求め続ける方でした。
トロアスという所で、宣教旅行中の使徒パウロは、ルカ(ルカによる福音書と使徒言行録の著者)と出会います。そのことはお互いにとってそれほど大きな出来事ではなかったのかも知れません。それを示すかのように、この出会いはとても控えめに記されています(それまで三人称単数や複数だった主語に、一人称が加わっています)。けれども、もしこの出会いが無かったなら、わたしたちはイエスから始まった出来事が、弟子たち、パウロに受け継がれて、どのように世界に伝わって行ったのかということを知ることはできなかったでしょう。ですから、パウロとのルカの出会いが持つ意味は、わたしたちにとってとても大きいものだったと僕は思います。
人との出会いと別れは、必ずしも人の意志に拠りません。わたしたちは、自分の信じる道を行こうとして、出発し、人と出会い、人と別れ、変えられながら、道を進んでいきます。ルカが証言しているように、パウロとルカの進む道を主が共に歩んでいます。わたしたち一人一人がそれぞれ、でも一緒に進む道をも主イエスは共に歩んでいると僕は信じます。だから、何があっても、何につまずいても、どんな出来事に見舞われても、わたしたちはこの道を進んでいきます。主がわたしたち一人一人といつも共におられるからです。
次週の主日礼拝は1月5日(日)午前10:30~11:45。降誕節第2主日です。聖書箇所は新約聖書・使徒言行録16章11~15節です。牧師のお話のタイトルは「主は彼女の心を開き」。どなたでもぜひご参加ください。
次週礼拝後にはクリスマスの片づけをします。
報告:山田有信(牧師)