2014年1月5日主日礼拝報告

お花

お花

降誕節第2主日、2014年最初の主日礼拝(新年礼拝)でした。画像はメンバーのMさんが献げてくださったお花です。子供の礼拝ではメンバーのIさんが「ひとつのからだ、おおくのぶぶん」というタイトルでお話をしてくださいました。聖書の箇所は新約聖書・コリントの信徒への手紙一12章12節でした。

礼拝の中で新約聖書・使徒言行録16章11~15節を読みました。牧師からは「主は彼女の心を開き」というタイトルでお話をしました。

新年早々、大阪梅田の初売りに家族で出かけました。阪急の三番街を歩いているときに、僕は幼い子供とぶつかって尻餅をついてしまいました。カミさんに手を引いてもらって起き上がろうとしたとき、右わきを抱えて起こしてくれる方がいることに気づきました。でもその方をちらっと見た瞬間、僕は違和感を感じました。そして、物凄い力で引き上げられることを想像して恐ろしくなり、とっさに「大丈夫です!」と声をかけました。でも通じない様子でした。ところが次の瞬間は僕の予想できないものでした。本当にふんわりとしたやさしい力が僕を起こしてくれたんです。立ち上がってから、その方を見て、さっきの違和感が分かったような気がしました。確かなことではありませんが、その人はいわゆる「自閉症」の方だったと思います。僕よりも背の高い青年でした。「ありがとうございました」と声をかけましたが返事はありません。でも僕たちがまた歩き始めると、その青年も僕の横を歩き始めました。心配してくれていたんだと思います。僕がその青年の肩にそっと手を当てて、もう一度「ありがとう」と言うと、その青年は僕たちから離れて行きました。僕たちはそのまま降りのエスカレータに乗りました。ふと青年の去って行った方を見上げると、青年が僕の方をじっと見ていました。僕が手を振ると青年は(うまく言葉で表現することは僕にはできないけれども)明らかに反応を示してくれて、そしてくるっと向きを変えて去って行きました。一目見て青年に対して瞬間的に閉ざした僕の心が、その青年との間で何かによって開かれた出来事でした。その青年と一瞬心が通い合ったような気がしています。

イエスや使徒パウロが生きた時代、ユダヤの宗教は外国人や女性を分け隔てしていました。外国人がユダヤ教徒になることは簡単ではありませんでした。女性は男性と同じように信仰生活を送ることはできませんでした。でも、マケドニアのフィリピという町のユダヤ人の集まりに参加していた、ユダヤ人から言えば外国人のリディアという女性に、パウロら一行が出会ったとき、リディアを阻害していた障害が取り払われます。リディアは洗礼を受けクリスチャン(キリスト教徒)となる決意をするんです。聖書はこの出来事を「主が彼女の心を開かれた」ゆえの出来事だと証言しています。そうとしか言い様のない出来事だと思います。

「わたし」たちの周りにも、そして社会の中にも、人と人を分け隔てする障害がたくさんあります。リディアの前にあった性差別や外国人差別が今もあります。僕自身が自閉症の青年に感じた偏見は、たぶん僕だけのものではないと思います。相手に違和感を感じた瞬間に、それが正当なものでもそうでなくても、多くの人は自分自身や他の何かを守ろうとして、自分の心を閉ざしてしまうことがあると思うんです。この年、人と人の心を通わなくさせるものを一つ一つ取り除いて、一瞬でも心を通わせることを経験して、様々な障害から「わたし」たちが解放されて、自由に近づいて行ける、そんな年になるといいなぁと思います。わたしたちの救い主イエスは、多くの偏見や様々な差別、そしてそれを強制する律法を取り除いて、生身の人間に近づいて交流を深めた、そんな救い主です。

礼拝後は、ぜんざいをいただいた後、みんなでクリスマスの後片付けをしました。ご協力ありがとうございました。

次週の主日礼拝は1月12日(日)午前10:30~11:45。降誕節第3主日です。聖書箇所は旧約聖書・ヨブ記16章18節~17章5節です。牧師のお話のタイトルは「神に向かう涙」。どなたでもぜひご参加ください。礼拝後はギデオン協会の方からのメッセージを聞いて(先週予告するのを忘れてしまいました。スミマセン)、その後、定例役員会を行います。

報告:山田有信(牧師)

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