2014年2月2日主日礼拝報告

お花

お花

降誕節第6主日でした。画像はメンバーのMさんが献げてくださったお花です。子供の礼拝では、旧約聖書・創世記15章13~17節を読んで、牧師から「アブラハムとのやくそく」という題でお話をしました。希望を失わないことの大切さを伝えたいと思いました。

礼拝の中で新約聖書・使徒言行録16章25~34節を読みました。牧師からは「揺さぶられる土台」というタイトルでお話をしました。

(以下、お話の要約)

パウロはフィリピの町である女性を霊から解放し、彼女を奴隷の状態から解放しました。ところが、彼女に占いをさせて利益を得ていた主人たちは怒り、群衆を煽って、パウロと同行者のシラスを捕えます。パウロたちはやがて鞭で打たれ投獄されますが、その夜パウロたちは牢で歌い、祈っています。鞭も牢も束縛も、イエスがもたらし、パウロたちに引き継がれた自由を縛ることはできません。

その夜、大地震が起こり、牢が揺れて、牢の扉が開け放たれ、パウロたちの束縛が解けてしまいます。けれどもパウロたちは逃げようとしません。なぜなら、彼らはすでに自由だからです。

そしてもう一人、ここに解放された人がいます。それは、地震で開放されてしまった牢から、パウロたちが逃亡したと思い込んで、自害しようとした看守です。看守は、ローマ帝国に縛られていました。ローマの代官に服従し、投獄された囚人を閉じ込めておくことが看守のつとめでした。そうすることでしか、自分の自由を守れないと信じていたんです。でもパウロたちは、そんな自由とはまったく違う自由を示しました。イエスがもたらした、自由と解放です。

イエスの告げた自由と解放は、人と人が本当は縛り合うような関係じゃなくて、お互いに解放し合うようなそんな関係を築くために人が生まれて来たことを示しました。当時のユダヤを支配していた、罪を定める律法も、エルサレム神殿を中心にして成り立っていたユダヤ教も、一人の人間を束縛してその自由を奪うことはできないということをイエスは示したんです。だから、律法が定めていた罪人たちや、神殿で礼拝することができない罪人たちは、その罪から解放されて、お互いに交流を深めて、その喜びを分かち合うことができたんだと思います。

大地震で揺さぶられた牢の土台というのは、人を縛ることでしか自由を手に入れられないという考え方なのではないでしょうか。「わたし」たちも問われていると思います。「わたし」たちも、他者を自分を縛ってはいないでしょうか。自分たちの自由のために、他者を閉じ込めたり、排除したりしていないでしょうか。そのような考えに自分を縛りつけていないでしょうか。そんなことをしなくても、イエスのもたらした自由を誰も「わたし」たちから奪うことはできません。あの十字架でさえ、奪うことはできなかったのですから。

(以上、お話の要約)

次週の主日礼拝は2月9日(日)午前10:30~11:45。地区(大阪中部)の交換講壇の日です。扇町教会の山下壮起牧師が来られます。聖書箇所は新約聖書・マルコによる福音書4章10~12節、お話のタイトルは「神様の答え」です。どなたでもぜひご参加ください。

報告:山田有信(牧師)

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