2014年6月8日主日礼拝報告

ペンテコステ(聖霊降臨日)でした。ペンテコステはイースター(復活日)から数えて49(50?)日目の日曜日。聖霊が弟子たちなどに降ったことを記念する日です。このペンテコステとクリスマス、イースターがキリスト教の三つの大きな祝日とされています。大阪淡路教会では、毎週、子供の礼拝と一般的な礼拝の二部構成で行っていますが、この三つの祝日などには大人と子供の合同礼拝となり、メッセージ(説教・宣教)を中心とした礼拝と、聖餐式(パンと杯〈ぶどうジュース〉の分かち合い)を中心とした礼拝の二部構成になります。

第1部では、旧約聖書・ヨブ記20章1~11節を読み、牧師から「悪が滅びるとは限らない」というタイトルでお話をしました。

(以下、牧師のお話の要約)

人と人が通じ合えるということは案外少ないのだと思います。言葉が通じれば、気持ちを通い合わせることができるわけではありません。自分の痛みを人に伝えるのは大変なことですし、人の痛みを感じ取るのは並大抵のことではない。A「痛い」、B「大丈夫?」、A「(まだ生きているんだから)大丈夫」…(いよいよ痛みに耐えかねて)A「痛い!!」、B「なんでもっと早く言わないんだ!」、A「(だから最初から痛いって言ってるのに)」なんていうすれ違いが起こることもあります。

聖書箇所は、ヨブと言う人の友人ツォファルの言葉です。皮膚病などで苦しみ抜いているヨブは、その苦しみと、そして、なぜ苦しまなければならないのか分からないという苦しみに喘いでいます。けれども、ヨブの苦しみと気持ちはツォファルには通じません。ヨブが何か悪いことをしたから、だから罰が当たったのだと思い込んでいます。そして、自分の罪を認めないヨブに腹を立て、「悪いことをした人は、必ず滅びるのだ」と言うのです。

でも、人と人が通じ合えることもあります。言葉で通じ合えなくても、ちゃんと分かるということがあるんです。赤ちゃんの気持ちが、お母さんには分かります(もちろん全然分からないことも多々あります)。相手に気持ちを知られてはならないと思って、黙っていたり、嘘をついたりしても、本当の気持ちが、相手にちゃんと伝わってしまいます(これもそうでないこともありますが)。

エル・グレコ『聖霊降臨』(Wikipediaより)

エル・グレコ『聖霊降臨』(Wikipediaより)

新約聖書はペンテコステ(聖霊降臨)の出来事を、炎のイメージで語っています(使徒言行録2:1-13)。他にも、聖霊は鳩のイメージで語られることもあります(マルコによる福音書1:10)。昔の人は、見えない霊を、そういうイメージで表したのです。でもそれでも、聖霊というものがどういうものなのか、見えないものですから、よく分かりません。

使徒言行録の著者は聖霊が降った出来事を、イエスの弟子たちが、知らないはずの外国語を話せるようになった出来事として記しました。でもそれは、言葉が通じることが大切だということじゃないと思います。聖霊によって、通じ合えないはずの外国の人とも通じ合えるのだ、分かり合えるのだ、そういうことなんじゃないでしょうか。

だから僕は聖霊の働きを信じたいと思う。言葉が通じても、通じなくても、わたしたち一人一人は、聖霊の働きによって、きっと分かり合えるはずだということを信じる。ヨブとヨブの友だちみたいに、何かが邪魔をして、全然わかり合えないこともあるでしょう。でも、たとえそんな風に人と人の間を邪魔をする何かがあっても、それでもそれを突き抜けて、「わたし」と「あなた」がピッと通じ合えることがあるって僕は信じる。それが聖霊の働きを信じるということの中身だと思う。

(以上、牧師のお話の要約)

第2部の礼拝では、聖餐式を行いました。

礼拝後には茶話会を催しました。礼拝堂を使いやすくしていくことについて、皆さんから意見を伺いましたが、皆さんそれぞれニーズが違います。大阪淡路教会の会堂は、保育園の子供たちから、だんだん身体が不自由になって来た方々、それぞれ状態の違う「障害者」まで、多くの人が利用します。なるべく多くの人が、なるべく長く利用できるように、考えて行きたいと思います。聖霊の助けを祈ります。

次週は三位一体主日です。次週の聖書箇所と牧師からのお話のタイトルは後日お知らせします。礼拝後には、会堂の清掃と定例役員会を予定しています。

会津磐梯山(車窓から)

会津磐梯山(車窓から)

9日(月)から、「部落解放全国活動者会議 in 会津」に参加するために福島に来ています。この記事も福島から投稿しました。

報告:山田有信(牧師)

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