2014年7月20日主日礼拝報告

Mさんが献げてくださったお花

Mさんが献げてくださったお花

教会の暦では聖霊降臨節第7主日でした。

第1部の子供の礼拝の中では、旧約聖書・創世記6章18~22節を読んで、メンバーのOさんが「ノアさんのなやみ」というタイトルでお話をしてくださいました。「ノア」という映画をご覧になったそうです。大洪水の後、ノアが酔って醜態をさらしたのは、洪水の多くの人を死なせてしまったからだったとは。今で考えたことなかったなぁ。

第2部の礼拝では新約聖書・使徒言行録19章11~20節を読んで、牧師から「インチキ」というタイトルでお話をしました。

(以下、牧師のお話の要約)

フウセンカズラの種

フウセンカズラの種

教会の前で、フウセンカズラを育てています。フウセンカズラの種は、直径が五円玉の穴ほどの大きさです。それが、あんなに大きくうまいこと育ちます。その意味では人も同じではないでしょうか。人もオギャーと生まれた時に、もうその人なりに成長して行くだけの力を持っているんだと思います。もちろん、その力は一人一人違います。でも誰も邪魔しなければ、一人一人が持って生まれた力に従って、誰もがその人らしく育って行くはずだと僕は思っています。たとえ、もし病気になったとしても、もし何か「障害」と呼ばれるものがあったとしても、その人はその人なりに育って、生きて、そして死んで行くんだと思うんです。

ところが人は、どうしてなのか、自分に与えられている以上の力を求めます。今日の聖書箇所では、まず使徒パウロが病を癒し、悪霊を追い出しています。古代の人は、病を罪によるものと考えました。多くの人とは異なる振る舞いをする人を悪霊に取りつかれていると考えました。そして、それらのことを恐れて、それらを避けるために、いつも強い力を求めていたのです。でも考えてみてください。なぜ病になってはいけないのでしょうか(なりたくはないけど)。なぜ多くの人と異なる言動をとってはいけないのでしょうか。

教会前のフウセンカズラ

教会前のフウセンカズラ

人が強い力を求めていると、そこに付け込む者が出て来ます。例えば、パウロやイエスの名を使って、「悪霊」を追い出す「祈祷師」たちがそうです。彼らはパウロの癒しの行為に便乗して、その名前だけ使って同じことをします。けれども、その祈祷師たちの企みを「悪霊にとりつかれている男」が見抜きます。そして「祈祷師」たちを追い払います。その後、同じような魔術を求める者がもっと大勢いたことが分かってきます。彼らが差し出した魔術の本の値段を見積もると銀5万枚にもなったというのです。いつの時代も、大きな力、魔術、まやかしの力のために、多くの人が大枚をはたくということです。

けれども、「祈祷師」たちのやっていることがまやかしで、使徒パウロの力は本物だということではないと思います。使徒言行録の著者ルカはきっとそう言いたいのでしょう。でもそれはとても危険な考えだと思います。どんな宗教も自分たちが最も真理に近いと言います。でもそれらはたいていまやかしです。キリスト教も教会も同じです。これこそ正しい真理、これが最も強い力、そうしたものを人は求め、人のその心に付け込む者が出てくるのです。

イエス・キリストは言いました。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる」(マルコによる福音書4章26節)。小さな種に成長し生きる力がはじめから備えられているように、人にも必要な力はすでに与えられていると僕は思います。後は、生きるために適した環境と、周りの協力があれば、誰もが備えられている力に従って大きく成長し生きて行くことができると僕は思うのです。

わたしたちは、わたしたち一人一人に与えられている力を信じましょう。わたしたちが互いに育て合う力を信じましょう。まやかしの力や、派手な魔術や、まことしやかに語られる奇跡ではなくて、わたしたち自身の小さな力が起こす奇跡を信じましょう。わたしたちが、わたしたち自身に与えられている小さな力が、やがて必ず実を結ぶ世界のことを、イエスは「神の国」と言っているんです。

(以上、お話の要約)

礼拝後は会堂の清掃を行いました。皆様ご協力ありがとうございました。清掃後は定例役員会を行いました。役員の皆様、ありがとうございました。

次週は、教会の暦では聖霊降臨節第8主日です。聖書箇所は旧約聖書・ヨブ記21章1~6節、牧師からのお話のタイトルは「沈黙せよ」です。礼拝後は「ほっとコーヒータイム」。映画『ナザレのイエス』鑑賞をします。二枚組の二枚目に入ります。今回は「パリサイ派の人々」(ch.1)から、「山上の説教Ⅱ」(ch.5)までを鑑賞しましょう。上映時間約25分です。どなたでもぜひどうぞ。

報告:山田有信(牧師)

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