教会の暦では降誕節第2主日、新年礼拝でした。
第1部子供の礼拝では、旧約聖書・創世記37章1~4節を読んで、牧師から「まちぶせ」というタイトルでお話をしました。ヤコブは息子たちの中で、特にヨセフを愛しました。そのためか、他の兄弟はヨセフを妬み、ヨセフは兄弟の手によって酷い目に遭わされ、商人たちの手でエジプトに連れて行かれます。ヨセフの身に起こったことは、とても悲しいことです。けれどもこの間神は何もしません。ところが、このことがやがてヤコブ一家を助けることになります。神はいったいどこにいるのでしょう。
第2部の礼拝では、新約聖書・使徒言行録22章17~21節を読んで、牧師から「新しい景色」というタイトルでお話をしました。
(以下、牧師のお話の要約)
新しい景色
先日、ある新聞のインタビュー記事を読んで感銘を受けました。インタビューを受けていたのは漫画家の萩尾望都さんです。萩尾さんは非常に高い評価を受けている漫画家の一人ですが、絵を描くことや漫画を描くことについて、ご両親からはずっと反対を受けて来たそうです。そのことにずいぶん苦しんでも来ました。ところが、手塚治虫の『新撰組』という作品に出会って、「何か確実なものを手に入れた」と感じ、それが頭と心からずっと離れなくなって、思い起こすたびに感動が迫ってくるという体験をします。そして、その世界に自分も行きたいと決意したそうなんです。
やっぱり多くの親は、子供が漫画家になりたいって言ったら反対すると思うんです。漫画家を目指す人はたくさんいますが、漫画で成功する人は、わずかしかいません。それが現実だろうと思います。だから、漫画とか、絵とか、音楽とか、芸能とか、そういった道に進みたいと願う子供に反対する親の気持ちも分からないではありません。でも、やっぱり僕は、自分の感動に素直であることの方が、もっと大事なことだと思います。そういう道に進もうとして、失敗する人の方が多いのかも知れません。でもそれでもいいと思うんです。自分の感動を押し殺して、そんなものは無かったかのように、失敗しない道を選んで生きることの方が、結局は、大切な何かを失わせてしまうんじゃないでしょうか。
使徒パウロはエルサレムの民衆の手で殺されそうになりました。今日の聖書箇所の中では、その民衆に対してパウロが弁明をしています。パウロが言いたいのは、「自分は神への信仰に熱心なだけだ」ということではないでしょうか。パウロはかつて熱心なユダヤ教徒でした。そのパウロがキリスト教の福音伝道者となっていった出来事は、通常は回心のできごととして理解されることが多いと思います。でもパウロの弁明を聞いていると、パウロ自身はユダヤ教からキリスト教に改宗したというよりも、ただ神への信仰を貫くことが、そうなって行ったにすぎないということであるような気がしてきます。
言葉を換えて言えば、パウロも、萩尾さんのように、自分が神と出会った感動に素直に従って生きているだけなんです。パウロにとって、神との出会い、イエスとの出会いは、それまでパウロが信じて来た、律法や教えを突き破るほどのものでしたが、決して神自身への信仰を変えるものではなかったんだと思います。残念なことに、パウロの感動は、他の人には必ずしも伝わっていません。だからこそ、パウロは今、窮地に陥っているんでしょう。
新しい年を迎えました。この年、僕は自分の感動に素直に生きて行きたいなぁと思わされています。あれをしたい、これをしたい、こうでありたり、こうなりたいというのは無いわけではありませんが、そういう目標を立てるよりも前に、自分自身の心を動かすものをまずは見極めたいと思うんです。「貧しい人々は、幸いである」(ルカによる福音書六章二〇節)、ルカはそういう言葉を、イエスの言葉として記しています。立派な人間になりたいとか、しっかりした人間になりたいとか、そういうのはほとんどが人からそう見えるものです。自分の心がそうさせるものとは違います。立派に見えなくても、しっかりしているように見えなくても、人からどう見えようとも、自分の心にこそ素直でありたいと僕は思います。ルカの記した「貧しい」とは、そういうことでもあるのではないでしょうか。自分自身が、いろいろなものについて「貧しく」なっていないと、自分の心に素直にはなれないと思うんです。
もし自分の心に、自分の感動に素直になれたら、人が決めた何かや、人に求められるものや、自分自身で思い込んでいることから自由になって、ただ自分の感動に突き動かされて歩んでいくことができたら、そうしたら、わたしたちの瞳には何か新しいものが映ってくるのかも知れません。自分を「貧しく」、心を高く、感動に素直になれますように。
(以上、牧師のお話の要約)
礼拝後には、メンバーのTさんがぜんざいを振る舞ってくださいました。ありがとうございました。
次週は、教会の暦では降誕節第3主日。聖書箇所は旧約聖書・ヨブ記25章1~6節、牧師からのお話のタイトルは「新しい景色」。礼拝中、出入り自由です。どなたでもぜひご参加ください。礼拝後にはクリスマスの後片付をします。
報告:山田有信(牧師)