教会の暦では復活節第5主日でした。
第1部の子供の礼拝では旧約聖書・創世記45章3~5節を読みました。牧師から「わたしはヨセフです」というタイトルでお話をしました。ヤコブという父親のためにバラバラになっていた家族が、大飢饉をきっかけにエジプトで再会します。物語には登場しない神が背後で働いているということなのでしょうか。
第2部の礼拝では新約聖書・使徒言行録25章6~12節を読み、牧師から「恐れ多くも畏くも」というタイトルでお話をしました。
(以下、牧師のお話の要旨)
「恐れ多くも畏くも」
慢性的な痛み・疼痛は人の記憶からくるものだということが分かってきているそうです。また疼痛に悩まされている人に、外から別の痛みを与えると脳の活動の状態が変化するということです。人間が何かを心地よいと感じている時の脳の状態になるというのです。たとえそれが痛みであっても、疼痛を引き起こす記憶が呼び覚まされるよりも心地よいわけです。何かに苦しんでいる人ほど、外部からの強い刺激を求めていて、その刺激がたとえ痛みであっても、それを心地よく感じる可能性があるということです。人は退屈から逃れるために強い刺激を求めます。そのことと疼痛の研究を結びつけることができるとしたら、人が刺激を求めるのは何かの記憶を呼び覚まさないようにするためなのかも知れません(國分巧一郎『暇と退屈の倫理学』増補新版から)。
使徒パウロは最晩年の時期にカイサリアという町に2年の間軟禁されていました。この間パウロは何をしていたのでしょうか。そのことを知る手がかりは使徒言行録26章にあると思います。そこにはアグリッパという王に対するパウロの弁明が記されています。パウロはそこで自分の人生を振り返っています。でも自分の人生を振り返ることというのは、そんなに容易いことではないと思います。何かに囚われていたり、忙しかったり、暇つぶしに一生懸命になっている間は、自分の過去など振り返ることはできません。と言うよりも、自分の過去や現状など振り返りたくないから、人は忙しさや刺激を求めるのかも知れません。でもパウロはアグリッパ王に対して自分の人生を振り返りながら弁明します。それができるのは、2年の軟禁生活の間に自分のことをゆっくり振り返ることができたからではないでしょうか。
でも記憶と言うものが人に痛みをもたらしたり、その痛みを回避するためにまた別の刺激を求めさせたりするものだとしたら、その刺激や痛みの向こうにあるその記憶に遡ることは容易なことではありません。それはパウロにとっても同様だったのではないでしょうか。でも、もしもパウロがそれをすることができたのだとすれば、それはやはり2年もの長い時間がそれを可能にさせたのではないかと僕は思います。2年の間にパウロは自分の心の傷や痛みとじっくり向き合ったのではないでしょうか。それは神がパウロに与えた癒しの時間であったのだと僕は思います。神よ、どうか「わたし」たちにも、自分で自分を振り返るために必要な力と癒しの時を。
(以上、牧師のお話の要旨)
投稿の遅れを取り戻せていません(と言うよりもさらに遅れが…)ので、今回も次週の予告は省きます。
報告:山田有信(牧師)