2015年6月28日主日礼拝報告

教会の暦では聖霊降臨節第6主日でした。

第1部の子供の礼拝では新約聖書・マタイによる福音書20章14~16節を読みました。メンバーのIさんが、「不思議なぶどう園」というタイトルでお話をしてくださいました。

第2部の礼拝では旧約聖書・ヨブ記29章7~20節を読み、牧師から「満ち足りた人生」というタイトルでお話をしました。

(以下、牧師のお話の要旨)

「満ち足りた人生」

この動画は「モンキー・ヘルパー」と呼ばれる介助サルについての動画です。でも、ジュディさんの介助をする、ソフィーというこのサルを見ていると、僕はいろいろと考えさせられます。本来ソフィーは南米大陸の森で一緒を送るはずだったと思います。ところが、どういう経緯でそうなったのか分かりませんが、訓練を受けてジュディさんの介助をすることになっています。いったいどちらがソフィーにとって幸せだったのでしょう。危険と隣り合わせな森で自由に生きることか、それとも、安全な場所で不自由だけれどもジュディ―さんと生きることか。あるいは、いずれにしても自分が生き延びるためという意味では同じなのか。ただ、少なくともソフィーは何か志があって「モンキー・ヘルパー」になったという訳ではないでしょう。

旧約聖書・ヨブ記29章7~20節では、ヨブが過去の自分を振り返って、自分がどれほど人を救い、いかに正しいことをしてきたかを語っています。もしこれが、かつての自分の正しさからして、今自分が苦難の中に置かれているのはおかしい、神は間違っているということを言うためのものだとしたら、ヨブはおかしな方向に向かっていることにならないでしょうか。苦しみに喘ぐヨブに、ヨブの友人たちは、ヨブが何か間違ったことをしたために、そのような結果を招いたのだと言い続け、ヨブはそれに反論してきたはずです。でも今ヨブは、その友人たちと同じことを主張しているのではないでしょうか。

ヨブが他の誰よりも正しい人であったということは、このヨブ記という物語の前提になっています。そして、ヨブほど誰からも愛され、誰からも尊敬を受け、非の打ちどころのない人が、それにもかかわらず、他の誰よりも悲惨な目に遭うことがある、そしてそんな苦難に見舞われることを、どんな正しい人も、どんなに優れた人物も、どうすることもできないというのが、ヨブ記がわたしたちに語っていることの一つではないでしょうか。人の役に立てば、いつか必ず報われるということでは必ずしもない、それが現実だということを、わたしたちは受け入れるほかないんじゃないでしょうか。

ではなぜ人は他者に尽くそうとするのでしょうか。仕事だから?生き延びるため?善行を積めば報われるから?例えばソフィーは、なりたくてヘルパーとなったわけではないでしょう。そうするしかなかったと言うべきです。ジュディさんにしても、最初はただ役に立つサルを、半信半疑で探していただけかも知れません。もしそうだとしたら、やがてソフィーがジュディさんの役に立たなくなってしまったら、ソフィーはお払い箱になるはずです。

でも動画を観る限り、たぶんそうはならないでしょう。動画からは、ソフィーとジュディさんとの間のつながりが伝わってきます。誰かが誰かの世話をする、あるいはお互いに支え合うという出来事の中では、いつしかつながりのようなものが生まれてくるのではないでしょうか。もしそれがなかったら、支える、支え合うということは成り立たないのではないかと僕は思います。気持ちがつながるということが、もし起こるのでなかったら、支えること、支え合うことは少なくとも喜びを生み出すことはないのではないでしょうか。

新約聖書・ルカによる福音書24章の物語を想い起します。エマオという村を目指して歩いていた二人の人は、一緒に歩いていた相手が、実は死んだはずのイエスだったということを、後から思い起こしながら、「わたしたちの心は燃えていたではないか」と振り返ります。たとえ死んだはずの相手であっても、それでもつながり合って心が燃えることがあるということを、わたしたちはこの物語から受け取ることができるのではないでしょうか。どうすれば気持ちがつながるのか、どうすれば心が燃えるのか、それは誰にも分かりません。でも、誰かとつながって心が燃えるという出来事が、わたしたちに語られています。苦難の中に置かれても、たとえ目に見えて報われることがなくても、人と人はつながって心を燃やすのです。

(以上、牧師のお話の要旨)

礼拝後はほっとコーヒータイムを開催して、DVD『ナザレのイエス』を鑑賞しました。今回はイエスの十字架の死の場面までを観ました。次回で『ナザレのイエス』はようやく完結です。

次週は、教会の暦では聖霊降臨節第7主日。朗読する聖書箇所は新約聖書・使徒言行録26章12~18節(新共同訳新約聖書266ページ)です。牧師のお話のタイトルは「太陽よりも明るく」。礼拝後の予定は特にありません。どなたでもぜひご参加ください。

報告:山田有信(牧師)

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