2016年5月15日ペンテコステ礼拝報告

教会の暦ではペンテコステ(聖霊降臨日)でした。

第1部の礼拝では新約聖書・マルコによる福音書4章1~9節を読み、牧師から「人生いろいろ」というタイトルでお話をしました。

(以下、牧師のお話の要旨)

「人生いろいろ」

ふうせんかずら

教会前のふうせんかずら

教会前のふうせんかずら

教会の前で「ふうせんかずら」を毎年育てています。今年も、去年とれた種を発芽させて苗を作ってちょうど土に植え替えたところです。20粒ほどの種を苗床で発芽させるのですが、すぐに発芽する種から、3週間、4週間経ってもいまだに発芽しない種まで、本当にいろいろな育ち方をします。毎朝見ていると、なかなか発芽しない種をつい応援してしまいます。でも、発芽して十分に育った順に植え替えて行くので、発芽の遅れた苗や、発芽しなかった種は結局捨てることになります。

一人一人それぞれの成長と結実

今日の聖書個所ではイエスが種まきの話をしています。大半の種は30倍、60倍、100倍ほどにも育ちますが、芽を出す前に鳥に食べられてしまう種、芽を出してもすぐに枯れてしまう種、茨に邪魔されて実を結ぶことのできない種があるというのです。これは蒔かれた場所による違いが大きいという話ですが、さっきの話のように種によっても違いが出ると思います。

どうして蒔かれた場所や種によって成長の仕方に違いが出るのでしょうか。イエスはその理由については話していません。種にしろ人間にしろ、育ち方や生き方に違いが出て来るのは本当です。皆が同じように生まれるわけでも、同じように成長するわけでも、同じように死んで行くわけでもありません。それが現実です(それで良いとは思いませんが)。でも、そんな現実であっても、それでも種をまき続けなさいというのがイエスの伝えたいことなのではないでしょうか。人間について言うとしたら、どんなところに生まれても、どんなふうに育っても、それでも一所懸命に生きなさいってことだと思います。種は、「こんなところに蒔かれたからわたしはもうだめだ」とは言いません。「茨が邪魔をするから、わたしはもう育てません」とは言いません。そんな種だから、30倍、60倍、100倍にもなるんだと、イエスは言っているんじゃないでしょうか。

今日はペンテコステです。「教会の誕生日」だと言われることもあります。教会も、あきらめないで種をまき続けなきゃいけないと思います。そして蒔かれた種(わたしたち?)も、蒔かれた場所で、持っている力を全部使って、決してあきらめないで、成長して行きたいと思うのです。誰もがみんな同じように生きるわけではありません。でも誰でもみんな、蒔かれたところで、自分らしく育つことが、自分の実を結ぶことができます。

(以上、牧師のお話の要旨)

第2部の礼拝では聖餐式を行いました。

次週5月22日(日)は三位一体主日です。聖書個所は旧約聖書・ヨブ記34章23~37節(新共同訳旧約聖書821ページ)です。讃美歌は、『改訂版こどもさんびか』から96と106番、『讃美歌21』から351と512と499です。どなたでもぜひご参加ください。

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