メッセージ 2020年4月26日

「光があった」

新型ウイルスの影響で、この社会を生きるわたしたちの生活は大きく揺さぶられています。不安を感じていない人はたぶんいないでしょう。ウイルスによるこの影響によって、はっきり見えて来ているものが少なくとも二つあるように最近僕は感じています。

ひとつは、わたしたちが人にやさしくない社会を生きていたということです。人間が人間らしい生活を送ることよりも、もっと別の何かが優先されてきたことが露わになっていると思うのです。社会のすべてがストップしてしまったら生活できなくなる人がいると言われます。それは事実です。でも、この社会を生きている人々が、それぞれ持ち合わせているものをもう少しでも分かち合うことができるような社会だったとしたら、少なくともしばらくの間くらいは、誰も生活に困ることがほとんどない社会であることも事実です。でもこの国ではなぜか、分け合うことは優先されません。人と人が何かで切り離された社会をわたしたちは生きているのです。

そして、今まであまり見えていなかったもうひとつのことに僕は最近気づかされました。それは、人間はやっぱり人と人のつながりの中で生かされているんだなぁと言うことです。医療や健康を保つためのお仕事をされている人々、福祉など人を支える仕事を担う人々はもちろんですが、例えば最近僕がハッと思わされたのは、スーパーの疲れ切っている店員さんたちの姿です。大規模なスーパーマーケットの存在そのものにはいろいろな問題があります。でも現実に僕が口にするもののほとんどはスーパーで買われるものです。ところが、スーパーの店員さんたちの働きや、ごみ収集の作業をされる方々などなどの働きに支えられて、この社会を《共に》生きているという自覚が、今まで僕にはあまりなかったのです。

人と人を切り離し人間が人間らしく生きることを許さない力と、人が人とつながって支え合って行かないと成り立たない社会の姿、二つの矛盾するものが今わたしたちに示していることは、でもすでに明らかだと思います。わたしたちが支え合って共に生きることでしか、人間がこの世界を一緒に生きる可能性はないということです。それがわたしたちの光です。それが、わたしたちの主イエスが見た「神の国」と呼ばれる何かであり、イエスが実際に生きた世界です。光はもうすでにここにあって輝いています。光の中を一緒に生きましょう。


教会には4人、「電話礼拝」(Web会議システム)で数人参加の礼拝でした。

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